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『将軍家重の深謀-意次伝』第二章五節

  • 執筆者の写真: 佐是 恒淳
    佐是 恒淳
  • 2022年6月5日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年6月6日

 第二章五節「銀を出さず」では、勘定奉行で長崎奉行を兼任した石谷清昌が長崎赴任前に、意次と政策を打ち合わせる場面が描かれます。幕府初頭には絹織物の輸入が盛んで、大名はじめ、豪商がこぞって高級絹織物を身に付ける風潮ができました。その反面、日本から輸出する製品は少なく、決済は主に金や銀で行われました。

 織豊時代から、日本は空前の金銀ブームに沸き、いくらでも取れるような活況を呈します。秀吉が大坂城にため込んだ金の量は大変なものでした。

 当時、メキシコのポトシ銀山は有名で、欧州の銀相場が下がってフッガー家が没落したほどです。佐渡の鶴子銀山もそれに匹敵するほどの大銀山でした。德川時代初期、日本人は鷹揚に金や銀で決済し、清人やオランダ人は笑いが止まらなかった状況が続きます。

 新井白石は、輸入超過、金銀流出に危機感を覚え、警鐘を鳴らした人です。いかに大量の金、銀が流出したか、本文にも書きましたが、白石の著作を見れば現代の私たちも驚きを覚えます。当然、幕府は金銀流出を抑えにかかり厳格な制限を課しました。そうした状況の中で、清昌は、輸出品を多くして貿易の活性化をはかり、幕府財政に寄与する方策を意次に説明したというわけです。


 ベトナムの通貨単位はドンと言いますが、これは日本語の「銅」が転訛したものだそうです。寛永通宝という銅貨は良質で、アジアの国々に大量に流出しました。越南の通貨単位に今もその遍歴をとどめています。銅は意次の時代、まだまだ採掘でき、竿銅で決済される貿易はしばらく続きます。




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飯山市の福島新田の棚田。前方に見えるのは平地の田。ここは随分高いところに開かれた棚田です。

3件のコメント


北薗 洋藏
北薗 洋藏
2022年6月07日

解説ありがとうございます。

ますます、今後の展開が楽しみになりました。


写真は鹿児島市西千石町の大中寺にある薩摩義士の墓です。

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北薗 洋藏
北薗 洋藏
2022年6月06日

限定された地域経済、また商人が数多潤っても幕府財政が窮迫する図式を理解できました。

石谷清昌の具体的な施策、それを踏まえた意次の財政政策が楽しみです。

厳しい状況であろうロシア経済も頭の片隅に置いて読ませていただいています。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
2022年6月07日
返信先

 国益と個別業者/地域経済の利益が一致しないなど、勘定奉行と長崎奉行の兼任者が問題点を指摘した書状が残っています。意次らは、当然、国益というレベルで政治を考えますが、そのうちに幕藩体制において、諸侯の領地に幕府の(国全体を見据えた)政策を適応しにくいことを意識するようになります。


 その最たるものは徴税権です。幕府は諸侯の領地から年貢をはじめ、諸税を取り立てられません。一方で、災害に遭った諸藩には幕府はいろいろと復興支援しました。その財源は基本的には、幕府資金です。德川幕府は、徴税権をもたない地域までインフラ整備の責任を負った政権でした。 

 同じように、国単位で考えなければならない政策でも、幕府が諸藩に介入できないことが多くありました。幕藩体制にあって、政策、特に経済政策は、国全体を見据えた立案が困難な場合がありました。


 あとで出てきますが、石谷は関東の河川水運の活性化を図り川湊を整備し、運賃を公定化し、運上を取る体制を整えます。流域全体で統一するため、諸藩の川湊も巻き込み、諸侯の領地にある川湊から幕府は運上をとることにしました。関東では幕府に忠誠を尽くす譜代で占められていますから、文句もでず政策は実施されました。こういうことには、外様大名であれば、必ずおかしいという声があがったのです。

 封建性において、国全体(あるいは広域行政単位)に関わるインフラ整備を誰が負担するのか、難しい問題でした。幕府は、しばしば、威権を持って、諸藩に大規模工事を命じました。

 宝暦三年12月25日に木曽川治水工事を命じられた薩摩藩は四苦八苦の目に遭いました。宝暦五年5月22日、幕府差遣の役人が木曽川工事の検分を終えるまでに、薩摩藩は工事費用三十万両を借金し、以前の借金と合わせ百万両の借財に達しました。宝暦年間のことでした。中央で専管的に徴税し、それを財源に国全体のインフラを整備するという体制にない時代の一種の悲劇です。薩摩の農民は木曽川流域の農民のため辛酸をなめました。

 この問題は、田沼の政策が国全体を志向することが多いだけに、常に発生しました。最後に、田沼の打った経済政策が大名全体を支援するものであったにも関わらず、大名の本来の権益を犯すと批判され、田沼失脚のきっかけになります。守旧的な感覚の大名ほど、国全体のインフラ整備ということが分かっていななかったようです。ここを志向した田沼の先見性とそれが故に旧来の幕藩体制と齟齬をきたした葛藤がこの小説を通底するテーマの一つです。


                                恒淳

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