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『四本の歩跡』第三章十節「謀略の系譜」

  • 執筆者の写真: 佐是 恒淳
    佐是 恒淳
  • 2024年7月12日
  • 読了時間: 3分

 時の政権を倒し、己が取って代るやりかたはいろいろありました。日本では、藤原政権、平家政権、鎌倉政権、足利政権、織田政権、豊臣政権、徳川政権を見ると、政権を奪取した方法はいろいろでしたが、主に武力で政権を倒し新政権を打ち立てました。別の武力が現政権武力に取って代ったものです。

 世界史的に見ると、例えばフランス革命にプランがあって、それに沿ってブルボン朝が倒れていった訳ではありません。王権を倒したのは、武力を持たない民衆で、その都度の状況に応じ大混乱の中から、ついにはナポレオン政権に行き着きました。

 ロシア革命は、マルクス理論に反する共産革命と言われ、最も資本主義の進んだ帝国主義の国(マルクスに拠れば英国)で起きるはずの革命が、最も資本主義の未発達の国ロシアで起きたというものでした。レーニンの想定した革命主体は、都市の工場労働者と兵卒です。毛沢東は、中国では革命の主体は農村の農民であるべきと唱え、革命を成功させました。これもマルクス理論からは遠い形でした。レーニン/ソ連共産党、毛沢東/中国共産党にはマルクス理論とは別の強烈なプランがありました。

 ジーン・シャープは非暴力による民主主義革命の理論を打ち立て、独裁政権を民衆主体で打ち倒す方法論を理論化しました。リトアニア独立革命はシャープ理論の実践だったと言われています。これがバルト三国の独立革命を引き起こし、ソ連崩壊へとつながっていきました。ソ連を倒す発端になった革命理論/方法論だったも言えます。

 時代ごとに、国ごとに、革命の理論はいろいろ勘案されてきました。日本では、なんと言っても革命理論は真木和泉守だと思うのです。


 真木は、まず、祈願のために天皇がどこかの神社に行幸し、警護の兵を整えよと言います。行幸を何回か繰り返し警固兵を拡大し、ついには親征の形をとって東海道を下れば、自ずと、日本各地から兵が寄ってきて、徳川幕府を圧倒し政権を倒せるというものです。

 たいした話ではないようですが、時流と民心を読んだ深い洞察がありました。明治維新では、天皇の御親征が実行されたことはありませんでしたが、各地域に公家を頭に仰ぐ新政府方面軍(錦の御旗を掲げ親征に準ずる形といえるでしょう)を派遣し江戸を目指します。新政府軍は行軍中、各地で、大名から金と兵を吸収しながら進んできました。

 東海道の主力軍が箱根を越えて小田原に降りた頃を見計らって、箱根の関を封鎖し退路を断って、相模湾から東海道にいる新政府軍めがけて艦砲射撃を加えよと小栗は建言しました。採用されれば新政府軍主力は壊滅したに違いありません。それが、将軍慶喜はその策を採用できない。心理的に、時代のうねりが己に敵しているという心持に陥ったようです。ここまで真木は読んでいたかどうか。親征という形は、時の勢いという目に見えない要素を巧みに組み込んだ革命理論だったようです。



天皇即位式で、帝の御出座と同時に雨が止んで陽が差したというのが真木和泉の感激の元だったようです。令和元年の五月、今上の即位式でも雨が降っていましたが、礼砲を撃つ段になって陽が差したのを見て、私は真木和泉の話を思い出したことがあります。

 
 
 

2件のコメント


北薗 洋藏
北薗 洋藏
2024年7月13日

佐是様、


真木和泉については、久留米の過激派神官としか思っていませんでした。ペリー来航以前に倒幕思想を持っていたとは驚きです。

攘夷過激派のテロ行動は、5.15事件、2.26事件など昭和初期の青年将校の行動に重なってしまいます。そう単純なものではないにしろ、政党政治=徳川幕府、青年将校=過激派志士、世界恐慌=外圧というように考えてしまいました。


私も平和ボケしている日本人の一人ですが、世界は戦争・紛争ばかり。日本も武力革命の繰り返しの歴史のようです。米国、中国、ロシアなどの覇権争いも基は人間の本能なのでしょうか。非力が目立つ国連ですが、やはり中心となって永遠平和を目指してほしいものです。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
2024年7月14日
返信先

北薗様、

早朝にコメントいただき感謝申し上げます。

おっしゃるように、幕末の過激な攘夷活動は昭和初期の要人暗殺の動きと重なる印象を私も持ちます。

 松下村塾の塾生→過激攘夷志士→奇兵隊士→維新功労者→藩閥形成→寺内正毅や田中義一らによる山縣閥の形成(陸軍内主流派)と至り、バーデン・バーデンの密約(大正10年1921、岡村寧次、永田鉄山、小畑敏四郎)で長州閥打倒が目標になりました。この密約では長州出身軍人の陸大入学を阻止する申し合わせができ、次第に陸軍の長州閥は衰退します。この線を辿ると、昭和陸軍まで松下村塾の精神的な系譜、発想・心情が何らかの形で引き継がれてもおかしくないと思います。

 明治の「ご一新」の語を明治維新と造語し言い換え、昭和維新という言葉に幕末攘夷運動と昭和の日本改造運動を重ね合わせ、変革/革命の思いを仮託した昭和軍人には、攘夷志士に共鳴する心情があるように思います。吉田松陰と攘夷志士の精神が、意識するとしないとに関わらず昭和期まで陸軍軍人にみいだされるのではないか、という視点で書かれた論文を読んでみたいと思いますが、まだ果たせていません。


                         恒淳

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